戦争と震災

 8月15日、今日は終戦記念日ですね。考えてみれば、子どもの頃は祖父母と同居していましたので、戦争の話も少なからず聞く機会がありました。その時代がどういう時代であったか、子どもなりにも頭の中で少しは想像できていました。


 しかし、大人になり、こうして離れて暮らすようになると、もはや家庭の中に戦争の話はこれっぽっちも出てきません。この時期になれば、テレビ等では戦争に関連したニュースや特集もやっているのでしょうけど、正直、なかなか気に留めて見ることをしていない自分に気づきます。


 翻って、東日本大震災。一昨日帰った故郷は、半年前とあまり変わっていませんでした。遅々として進まない復興の姿がそこにはありました。でも、こうして関東に帰ってくれば、震災や震災復興、放射能汚染といった福島が抱える重苦しい雰囲気は、ほとんどないのが現実です。隣県にも関わらずこれだけのギャップがある。そして、僕はこのギャップをいつも抱えながら生活をしていることを再認識させられます。


 終戦から今年で67年が経過したと、今日のラジオは伝えました。67年の時が経ち、日本は戦争からは既に立ち上がっていることはたしかでしょう。先人たちは、日本を世界有数の経済大国にまで成長させ、物心ともに豊かな生活がここにはあります。


 だからといって、この戦争という悲惨な出来事を、後世に伝え続けることを終わりにして良いというわけではありません。完全に復興し、それまでを上回るような国家が作られようとも、過去の悲惨な出来事は風化させてはいけないのだと思います。そうは言いながらも、戦争について気に留めていることができなかった自分。反省をしなければならないと思いました。祖父母が語り継いでくれたこと、その意味をもう一度考えてみようと思いました。


 東日本大震災に関連する出来事も、被災地以外の地域を見れば明らかなように、だんだんと風化してきています。しかし、戦争と同じように、こうした出来事を風化せずに、人々の記憶と意識の中に持続させることは、後世のためにも、そして震災で被災した人々のためにもとても大切なことなのだと思います。悲惨なことは伝え続けなければならない。現地の現状、現実は伝え続けなければならない。終戦記念日は、自分への反省とともに、そのようなことを僕に改めて想起させました。


 8月15日。戦争で亡くなった方々に追悼の意を表するとともに、このような悲劇が二度と起こらないよう後世に伝えていかなければならないと、改めて感じた一日でした。