“ゆとり世代”という逃げ道

 昨日のフジテレビの『ライオンのごきげんよう』で、ゲストで俳優の岡田義徳さんがこんな話をしていました。


 岡田さんは仕事柄、俳優の後輩から仕事の相談を受けることが多々あるそうです。当然ながら、岡田さんはそれを親身になって聞き、アドバイスや意見を伝えるわけですが、その後輩の受け止め方を聞いて、岡田さんは違和感を覚えるんだとか。ではどのような受け止められ方をするのでしょうか。それは、こういうことでした。

岡田さん:「◯△□☓・・・」とアドバイス。

後輩俳優:「でも、自分たちはゆとり世代ですから・・・」


 つまり、その後輩俳優は、ゆとり世代というものを自分の逃げ道に使っているわけです。でもどうなんでしょう、教育を受けている学生の当時、ゆとり世代と呼ばれて育った子どもたちに、自分たちがゆとり世代であるという自覚なんてあるんでしょうかね?きっと、ゆとり世代と呼ばれて育った人たちの多くは、自分たちが他の世代とどこがどう違っていて、どこにゆとりがあったかなんて、誰も気づいても感じてもいないんじゃないかと思うんですよね。


 ところが、世間が“ゆとり世代”と言うもんだから、「あ、僕らはゆとり世代で、甘々の環境下で教育されたんだ」と勝手に思ってしまっている。そして、そのことがこういう場面で逃げ道に使われたりする。すなわち、こうしてゆとり世代と言われて育った世代は、自分たちが感じたというよりも、世間からそう言われて育ったが故に、教育課程が終わった後に、自分たちはゆとり世代なんだと自覚をし、それを人によってはこうして言い訳材料に使ったりするわけですね。


 でも、これって、他の世代からすれば、本当に言い訳にしか聞こえないですし、馬鹿げていますよね。岡田さんが違和感を覚えるのは当然のことだと思います。自分がどう生きてきたかということと、世間がこう育ててきたということは必ずしも一致するわけではありませんから、自分がどう考え、どう生きて、どう感じてきたかを大事にしたいものですね。ゆとり世代の人たちはどう思いますか?