東北に本当の春が来ることを祈って

 そろそろ今年も終わり。やっぱり、最後ですから今年を振り返ってみようと思います。といっても、振り返ると言ったって、結局は今年は東日本大震災に尽きます。誰が振り返るにしても、この出来事は避けて通れないでしょう。


 あの日からいろんなことが変わりました。僕も、今回の震災では、親戚や知人を失いましたし、原発事故の影響で年末年始も実家に帰ることはできなくなりました。生きている家族、親類も遠くの街で離れ離れです。


 離れたからこそ“絆”の大切さが身に染みる。何とも皮肉なものです。普段は当たり前のように存在していたものが、急に無くなったり、遠くにいってしまう。そこで初めて、人間はそのものの大切さに気付くのです。僕たちも、恋愛をしたり、学校を卒業したり、引越しをしたり、いろんな場面で大切な人と離れ離れになることを経験し、もうそんなこと分かっているはずなのに、でも、人間というのはそういうものなんですね。


 このエントリーを書くにあたって、やっぱり当時のエントリーを振り返ってみました。震災当時のことを忘れないように書き綴ったエントリーでしたが、改めて読んでみると、改めて切迫した日々だったことが思い起こされます。


あの日から12日も経ったのか〜東北関東大震災を振り返る(1)〜

あの日から13日も経ったのか〜東北関東大震災を振り返る(2)〜

あの日から14日も経ったのか〜東北関東大震災を振り返る(3)〜

あの日から17日も経ったのか〜東北関東大震災を振り返る(4)〜

あの日から24日も経ったのか〜東北関東大震災を振り返る(5)〜

あの日から26日も経ったのか〜東北関東大震災を振り返る(6)〜完


 自分の身近に危険が迫るとはどういうことなのか、これはやっぱり当事者になってみないと分からないものです。たぶんもう今の時期は、首都圏の人にとっては、東日本大震災は終わった“こと”になっているかもしれません。


 もちろん、気に掛けていないことはないと思いますし、良心では気に掛けていたいかもしれません。でも、自分の生活の中に何一つとして影響がなくなった今、正直なところ、もう終わったものとして捉えるのも致し方ないことだとも思うのです。このことは、こんなエントリーでも書き残してはいましたが。


自分と他人なんて「セロリ♪」みたいなもんだもんね


 でも、被災地の当事者やその家族にしてみれば、何も終わってはいないわけです。でも、当事者は前を向いています。東京に住む僕のお世話になっている方は、先日こんなことを言っていました。


 「被災地の人たちは、前を向くしかないから、しっかりと前を向いて一歩一歩進んでいる。しかし、東京の人たちは、漠然と閉塞感を抱き、下を向いてしまっている。」と。


 これは、被災地に家族を持ち、関東で暮らしている僕にはよく分かる表現です。その通りだと思います。結局は、置かれている環境の違いなのです。


 何はともあれ、時は歩みを止めることはなく、どんどん前へ前へと進んでいきます。人間も何があろうと、前に進んでいかなければなりません。寒い冬の後に暖かく美しい風景が現れる正に東北の地の季節のように、この困難な言わば冬の時代から生まれ変わって、暖かな春の時代が東北の地に早く訪れることを祈って。


 本年は大変お世話になりました。良いお年をお迎えください。そして、来年もどうぞよろしくお願い申し上げます。