あの日から17日も経ったのか〜東北関東大震災を振り返る(4)〜

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 今日は、僕の誕生日です。今年は、かつてない特別な気持ちで迎える誕生日となりました。“普通に一つ歳を重ねられる”。このことが、どれだけありがたくて、どれだけ幸せなことなのかを、本当に思い知らされました。28歳になってのこれからの一年も、その幸せを噛み締めて上と前を向いて、強く生きていこうと思います。


 さて、それでは今日もまた前回まで(あの日から12日も経ったのか〜東北関東大震災を振り返る(1)〜あの日から13日も経ったのか〜東北関東大震災を振り返る(2)〜あの日から14日も経ったのか〜東北関東大震災を振り返る(3)〜)の続きを書いていくことにします。

緊急時の人と人との絆


 3月12日7時半過ぎに大宮駅に着いた僕たち。さて帰ろうと電車に乗ろうとすると、何と動いてないではありませんか・・・。



「マジで!?」



 そこで、駅員の方の説明を聞いていると、どうやら7時頃を見込んでいた運転再開が遅れているとのこと。テレビでは再開したと言ってるのに、現場は動いていない。今回の震災では、こうしたことも目立ちましたよね。スピードと正確性が、なかなか両立できないというか。


 まあ、とは言っても、もう間もなく再開するというので、他に帰れる術のない僕らは待つことにしました。それにしても、こういう緊急事態に、共に大変な想いをした人々の繋がりは、本当に強固になるものですね。僕たちも同じ会社のメンバー4人で大宮で一晩を過ごし、共に帰路に着くという体験を共にしましたが、もともと拠点が違ったり、職種の違いから、ほとんど話もしたことが無かった僕たちが、この短期間で本当に強い絆で結ばれた気がしました。そして、皆が他の3人が居てくれて良かったと、口々に話し、胸が熱くなりました。

えっ、歩く!?


 そうして寒い駅舎で電車の出発を待って、9時過ぎぐらいだったでしょうか。ようやく京浜東北線が出発するとのアナウンスが駅構内に流れました。そして、僕達もその電車に乗りましたが、始発の大宮でもさすがに超満員。まあ、でも仕方が無いということで、一路上野を目指しました。


 のんびり運転の京浜東北線は、本当にカオスでしたし、途中の荒川の橋では、都内から徒歩で帰ろうとする人が電車の通る橋を渡っていて、緊急停車で軽い将棋倒しが起きたりと、かなりきつかったですが、何とか2時間弱かかって上野に着きました。「さて、常磐線だ!」と乗り換えを急いだ僕たちでしたが、そこに待っていた光景は、想像を絶するものでした。


 それは、もう今までもこれからも無いであろうほどの上野駅の大混雑。もう上野駅全体が人でぎゅうぎゅうに埋まっているのです。常磐線に並ぶ列も相当な長さ。そして、電車も1時間弱に一本しか走ってないということで、常磐線に乗って帰るのは非常に困難だとみんな思い始めました。


「どうしよう?」
「日比谷線にするか?」
「いや、そっちも同じような混雑だよ。」
「困ったなあ。」


 そして悩んだ挙句、僕らはこうすることに決めました。


「歩くか!」
「うん。」


 僕たちは上野から国道6号線を北上し、茨城県を目指すことにしたのです。そして、同僚に途中まで車に迎えに来てもらい、出会った地点で拾ってもらおう、と。乗れるかどうかも分からない常磐線を待って上野駅で足止めをくらうより、少しでも茨城県に近づく。そう、僕たちは決めました。

助かったー!


 そうして、僕たちは颯爽と歩き出しました。僕たちと同じ考えの人もいるようで、同じ方向に歩いている人たちも結構いました。僕たちにとっては、彼らも心強い仲間でした。まあ、ただ歩いていても気が滅入るということで、途中、東京スカイツリーを間近に見たりしながら、もう二度とはないかもしれない東京から茨城への徒歩の旅を楽しんでいました。気が張っているからなのか、寝てないし、食べてないのに、体はドンドン前へ前へと進んでいきました。


 葛飾ぐらいまで来ると、さすがに革靴の僕らは足に豆ができてきて、次第にペースも落ち始め、みんな無言の時間も増えていきました。でも、もう一息もう一息と、体を奮い立たせ、一歩一歩前へと進んでいったのでした。そして、千葉県の松戸が近づいてきた頃、同僚の車が僕たちの所まで到着!


 僕たちは、「これでやっと帰れる〜!」と、とても安堵しました。そして、その車のシートに座った時の、何と幸せなことか。車に乗ってあんな気持ちになったのは初めてですね。そして、その同僚の人から茨城県の様子やオフィスの状況などを教えてもらいました。


 ライフラインがストップして、水がスーパーにもどこにもない。懐中電灯の電池がない。暖がとれない。オフィスは、階段の壁が剥がれたり、天井が一部破壊されたり、結構な被害である。そう聞いているうちに、ここまで辿り着くのも大変だったけど、これから着いてからもなかなか大変だなと思い始めました。

一難去ってまた一難


 そして、僕たちは茨城に入ったら食料も水も無いだろうということで、途中の柏あたりでスーパーに寄ることにしました。何だ柏は結構モノがあるじゃんと、余裕をかましていると、そのスーパーは高級店。どの商品も、とりあえず高いのです(笑)あ、だからモノが残っているのねと、みんな納得しましたが、とりあえず高かろうが買わなきゃ食っていけないということで、仕方なく4,000円分も食料を買ったのでした。


 これで、向こう数日の食は安心だろうということで、つくばに向かったのでした。そして、大宮を7時半に出て、夕方18時前、ようやく自宅に到着しました。そして、家族ともようやく再開。妻と娘と無事を喜び合い、僕も家に着いたことで、とても安堵しました。幸い我が家は、電気とガスは無事で、水はたまに出る感じ。建物の被害もありませんでした。


 水も、ちょうどお風呂の時間帯あたりは少しは供給してくれたようで、二日ぶりに軽くシャワーを。そして、ちょっとゆっくりしようかと思いましたが、ここで福島第一原子力発電所が、少しマズイ状態になっているという情報が飛び込んできました。福島第一原子力発電所と言えば、実家から20キロも離れていない場所にあります(よって、現在は避難指示区域です)。ようやく家に帰って来れて一安心化と思いきや、また次の難題が降りかかってきたのでした。(続く・・・)


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