あの日から13日も経ったのか〜東北関東大震災を振り返る(2)〜

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 さて、昨日の『あの日から12日も経ったのか〜東北関東大震災を振り返る(1)〜』の続きです。

仲間とエゴ


 取引先メーカーのオフィスに戻る前に、僕らはとりあえず夜ご飯を確保ということで、コンビニに寄りました。といっても、ああいう状況で気が立っていたので、食欲は殆ど無かったのですが、まあ何か甘いものぐらいは買っておこう、と。でも、もう地震当日の18時ぐらいで、大宮のコンビニはもうほとんど食料がありませんでした。今も一部でそういう状況が続いていますが、もうあの先買い、買い溜めは異常ですよ。胃袋は1つのままで、大きくもなっていないのに。


 まあ、それは良いとして、少しお菓子等を買って、取引先メーカーのオフィスに戻りました。オフィスでは、みんな食い入るようにテレビを見ています。すると、その部屋には自分と同じ会社の社員が、さらに2人も居るではありませんか。どうやら、その2人は同じビルで別な研修に参加していたようで、私たちと同様、地震で研修が中止になり、帰る術を探しに大宮の街を歩き回り、結局そのビルに戻ってきたということで、私たちと全く同じ行動をとっていたわけです。それにしても、こういう時は、1人より2人、2人より3人、3人より4人ですね。これで、自社の人間が自分も含め計4人となり、何だかとても心強くなった気がしました。

やっぱり公衆電話はなくしちゃダメだよ!


 そんな感動にも似た出会いの後、私たちもテレビの前に座り、地震と津波の凄まじい映像を見ていました。何度見ても恐ろしいあの映像の数々。そうして見ているうちに、やっぱり気になるのは家族のことです。地震から数時間経っていましたが、携帯・固定とも全く通信は遮断されていました。そこで、そのオフィスビル1Fにあった公衆電話に走りました。幸い3人ぐらいしか並んでいなかったので、とりあえず、つくばの妻に電話を掛けてみました。


 すると、さすがは公衆電話!一発で繋がったのです。妻と娘は無事でした。こういう時に旦那が居ないというのは不安だったでしょうけど、同じアパートの人たちと気を配り合いながら、家を守っていてくれました。こういう時の近隣の方々との繋がりは、とても大事ですね。普段から割と仲良くしている方ですが、いざという時すぐに頼れるのは近隣の方々しかないわけで、今回は料理店でコックをやっている近隣の知人からお水をタンク2つ分も分けていただいたり、お隣りさんや上の階の方からは「何かあったら、すぐにおいで!家に居るから。」と仰っていただいたりと、妻も私が居ない地震の夜も、幾らか気が紛れたのではないかと思います(もともと頼りにされてなかったりして・・・汗)。


 それから、公衆電話はやっぱり災害時は大事ですね。これだけ携帯電話が普及した今、普段の生活の中で公衆電話を使う機会はまずありませんし、NTTも公衆電話を減らしていく方向だったそうですが、いや、これは減らしちゃだめですよ。災害の時は、一般の固定電話や携帯電話があれだけ遮断されてしまうんですから、公衆電話しか連絡がとれる手段がありません。災害の時しか使われないのにコストを掛けて維持するのかという話もあるかと思いますが、今回の災害でもそうでしたが、災害時にあれだけ多くの人が公衆電話に並んでいるのを見ると、これだけでも存在価値は大いにあるのではないかと思いました。

「お前Twitterなんかやってんのか?アホじゃん?」


 さて、とりあえず、つくばの家族は無事ということが分かり一安心でしたが、もっと心配なのは実家の家族です。実家には、両親と施設に入所している祖母が居ますが、まだまだ連絡がつく状況ではありませんでした。両親とも仕事の都合上、家にはまだ帰っていないことは分かっていましたので、基本的に連絡手段は携帯しかありません。祖母は、携帯を持っていないので、取り急ぎ連絡をとる術はありませんでした。


 こういう時に、両親がGmailなどのメールやTwitterなどをやっていれば良かったのですが、「お前Twitterなんかやってんのか?アホじゃん?」みたいな感じのオカンがTwitterをやっているわけもなくw。ああこれは困ったなあと思いながら、さっき妻に公衆電話から電話した時に、「携帯回線は電話もメールも繋がらないので、これから先の連絡はGmailで!」と伝えてあったので、Gmailを開いてみることにしました。すると、都内に住む弟からGmailでメールが来ていました。弟も無事でしたが、弟も両親とはやはり連絡が取れないとのことでした。弟とは、これから先も家族の安否確認をはじめ、様々な部分で連携して連絡を取り合っていくことをメールでやり取りしました。

一流企業の危機管理


 そんなやりとりをしながらテレビを見ていましたが、取引先メーカーの方の多くも、JRストップによりその夜は殆どの人が会社泊のようです。そんな時、その取引先メーカーの方から、ミネラルウォーター、乾パン、そして防災シートを私たちにも配っていただきました。その取引先メーカーは、国内でも有数の企業ですが、さすがは一流企業ですね。こういう時の備えは本当に素晴らしく、別なフロアにはブルーシートをご用意いただき、そこで休んでくださいという素晴らしい待遇でした。


 あの日は夜は寒かったですから、駅など外で過ごさざるを得ない人たちからすれば、本当に恵まれているなあ、ありがたいなあ、と心底思いました。また、寝るときには防災シートを使ってみましたが、あれは不思議なシートですね。たしかに、あれだけでも結構温かい。私は、あの日まで防災シートの存在すら知りませんでしたが、それをこうした危機への備えとして用意していることに、本当にビックリさせられました。


 そうこうしているうちに夜も更けていきましたが、23時ぐらいになっても、やっぱり家族と連絡が取れていないという状況やテレビでの衝撃的な映像で脳が活性化し、全く眠くはありません。とはいえ、明日も何があるか分からないし、とりあえず休むかということで、例の防災シートを掛けて、横になることにしました。


 しかし、横になってもやっぱり眠ることはできずで、いろんな考え事をしながら横になっていました。すると、深夜1時頃だったでしょうか。突然、電話が鳴りました。弟からでした。(続く・・・)


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