駆け抜けた日々を超えて

 年度末、新年度、最近は駆け抜け過ぎていて、毎日立ち止まっている時間が無かった。毎日、様々なことに向き合ってきているはずなのに、その日々はただただ過ぎ去り、振り返ると何も残っていないかのような感覚である。こんな感覚を持ってしまうと、果たしてこの詰め込んだ日々は、いったいどれだけ自分の糧になっているのかと考えてしまう。

 

 

 今年の桜は例年に無いほど開花が早く、そして満開を迎え、僕の住む地域ではもうほとんどが散ってしまっている。桜が楽しめるのはほんのひと時だが、それがひと時であるが故に、僕たちは桜を楽しみ、そして桜が散るのを惜しむのかもしれない。ここしばらくの日々は、正にこの桜前線のようにあっという間に駆け抜けていった。

 

 

 駆け抜けた日々を振り返ってみると、実はたくさんのできごとがあった。人との出会い、新しい仕事との出会い、また、ビッグイベントも短期間に複数あった。しかし、これもあえて振り返るから気づくものであって、今こうして振り返るまで、この過ぎ去った日々は僕の頭からは過去のものとしてその場所に置かれてしまっていた。それぐらい次のものがやって来るのが早く、過去の余韻に浸っている暇など無かったのだろう。

 

 

 でも、こうした日々も一旦リセットしなければならない。この状態は良くないことは分かっている。この週末がそういうターニングポイントになるだろうか。昨日、ある人の発言がとても心に刺さった。短期的には表に見えにくく評価されなくても、長期的に見た時に大きな価値を生む仕事がある。得てしてこういう仕事は、どの企業もやりたがらないし、やれない。個人においても同様である。しかし、これからしばらくは、そういうことの土台をしっかり創っていこうと考えている。駆け抜けた日々を超えて、また目指すべき次の山が見えた。