「いいね!」の重さ

 震災から1年3か月以上が経過しましたけど、未だに故郷の状況はあまり好転はしません。今年4月に、故郷・福島県南相馬市小高区は警戒区域が解除されましたが、除染やインフラの復旧はもちろん、津波や地震の後片付けさえ、まだまだこれからです。


 こうして1年3か月が経過した今も、僕はたまに故郷の現状が書かれた記事には目を通し、多くの人に知ってもらった方が良い記事は、FacebookTwitter等に掲載し、故郷の現状を伝え続けるということを引き続き継続しています。こうして伝え続けるということは、その地で育った僕らの使命のようなもので、多くの人にとって震災が過去のことになっていくからこそ、続けるべきものと信じています。そうすることで、福島がどうなるかというより、悲惨なことは語り継がなければならないとの意の方が強いのかもしれません。


 ただ、やっぱりこういう記事をソーシャルメディアに投稿するのは、正直なところ結構迷います。特にFacebookは尚更です。何といっても、Facebookは「いいね!」を中心に、ポジティブな話題が集まりやすい場ですよね。ところが、僕らが故郷の現状を伝える記事というのは、そのほとんどが「いいね!」と気軽に言えるものではないわけです。


 放射能汚染、除染、津波や地震の爪痕、一向に進まない復興、どれも故郷の現実ですが、そのほとんどは、「いいね!」、と言えるものではありません。そのため、それを投稿する方も、何でもかんでもシェアはできませんから、ある程度吟味をして、それなりに時期を空けて、投稿をしたりしています。そこまでしてでも、知ってもらいたい現実はありますし、それを伝えることが使命であるからです。


 しかし、そんな投稿にも「いいね!」を押してくれたり、シェアをしてくれる方がいます。今夜も1件故郷の話題を投稿しましたが、「いいね!」やシェアをしてくれた方が何人かいました。それで感じたんですよね。こんな決して「いいね!」とは思えない記事に「いいね!」を押してくれる方の「いいね!」の重さを。


 この方たちの「いいね!」やシェアは、僕がどういう意図や想いで記事を投稿しているのかをおそらく理解していてくださっていて、それを受け止め、それをさらに伝えるべきものと判断してくださったものなのだろうと思います。だって、投稿している自分が言うのもなんですが、なかなかこういう記事に「いいね!」は押せないですよ。決して悪気があるわけではなくとも、見て見ぬふりをするのがある意味普通でしょうからね。


 メディアでの報道が少なくなる一方だからこそ、僕らの伝え続ける行動は、より重要性を増してくると思います。伝えること自体も気を遣うものではありますが、それを受け止めてくれる人が自分の回りにもいるんだなと思うと、何だか心強くも感じます。現実から目を背けずに伝え続ける。直接的支援がなかなかできない自分にとって、故郷のためにできる数少ない一つの手段を、これからも続けていこうと思った夜でした。