報道されないものへのフォーカス

 5月6日の竜巻被害以降、ニュースや天気予報では大気が不安定日には、「竜巻の恐れがあります。注意してください。」ということを必ず言うようになりましたね。昨日の夜なんかは、「雨戸をを閉めて、窓から離れた場所でお休みになってください。」、つまり、寝てる時も注意してくださいと天気予報で言っていましたが、一つの大きなできごとで、報道というのはこれだけ変わるものであるということを分かりやすく示していると思います。


 もちろん、現実的なことを考えた場合、日本で竜巻が発生する可能性はまだまだ低い。しかも、それが今回のつくば市や真岡市のように、建物にまで被害が及ぶ確率というのは、かなり低いです。しかし、テレビでは結構な頻度で注意を喚起しようとしています。(ちなみに、同じ地域が竜巻被害に遭うというのは、米国でも1000年に1度あるかないかだと言っている専門家もいました)


 こうした報道のされ方が変わっていく現象は、東日本大震災の時にもよく見られましたよね。東日本大震災はあれだけの大きな被害ですから、その後1年くらいは、日々のニュースの中でも大きく取り上げられていたように思います。ただ、その一方でこういうメディアの姿勢を見ていて感じるのは、今回の竜巻や東日本大震災の地震・津波は、こういう大きな災害があったから報道されるようになりましたが、何か大きな災害が無ければ何も報道されないものだったのではないかということです。


 日本は地震大国ですから、地震は日本各地で頻繁に起きます。よって、それなりの報道量があることでしょう。しかし、竜巻や津波はめったにあるものではありません。今回の竜巻被害や東日本大震災によう大津波が無ければ、きっと報道量は極めて少なかったことが予想されます。


 人は良くも悪くも忘れる生き物です。寺田寅彦氏が言ったとされる、“天災は忘れた頃にやってくる”、という言葉は私たち人間と天災との関係をうまく言い表していますが、だとすれば、いま報道されていないところに、本当のリスクがあるのかもしれません。明るみに出ていないから報道されない大きなことが、きっとたくさんあるはずなのです。


 ただ、このことは、天災とか悲惨なできごとばかりではないでしょう。きっと、報道されずに眠っているたくさんの良いこともあるはずです。報道されることを頭に入れておくことは大切ですけど、それが全てではないわけですから、報道されていないものへのフォーカスも意識したいものです。