なぜスタートラインに立つことが難しいのか

 昨日4月16日で、僕の実家のある福島県南相馬市小高区は、警戒区域が解除になりました。震災から1年以上が経過し、ようやく自由に立ち入りができるようになったわけです。とはいっても、上下水道、電気、ガスなど、生活インフラは全てダメですし、除染もこれからです。よって立ち入りは自由にできても、宿泊は禁じられています。でも、昨日は大きな前進だと僕は思います。


 昨日のマスコミ報道にもありました通り、小高区は昨年の3月11日からほとんど復興が手付かずの地域です。それもそのはずです。小高区は地震による大きな被害に加え、大津波により沿岸部から数キロは津波の被害も受けました。それにより、人々は避難所に集まらざるを得ませんでしたので避難所へと足を運びましたが、今度は例の原発事故です。ここからまた、さらに原発から離れた避難所へと強制的に移動させられたわけです。


 そして、そのまま警戒区域の設定で立入禁止。人々は、家に戻ることもできず、着の身着のままで家を飛び出したまま、1年以上を経過するに至ったのです。当然、家の中は3月11日のままですから、ぐちゃぐちゃです。私も2月に一時帰宅で実家に帰りましたが、まだ家の中は家具が倒れたままですし、ガラスが散乱したままです。


 しかし、昨日で自由に立ち入りができるようになりました。よって、これからはその片付けにもようやく本格的に取り掛かることができるようになります。空気の入れ替えもできるようになります。岩手、宮城の被災地の人々が、昨年から取り組んできたことを、放射能という問題を抱えながら、これから取り組むスタートラインにやっと立つことができたのです。


 とはいえ、今回の警戒区域の再編は、地元の人たちの間でも賛否両論です。それは、その人、その家庭、子供の有無、職業の違いなどにより、本当に千差万別です。インフラが復旧してからでなければ、掃除もできない。宿泊できない上に誰もが自由に立ち入りできるようになれば、防犯上かなり危険な状況になりかねない。区域の見直しで、補償が変わってくるのではないか。いろんなことが懸念されています。


 ですから、ある人が賛成していることを、ある人は猛反対している。そんなふうに、同じ地域の人でも、家が隣の人でも、同じ家族内でも、意見の隔たりがあるのが普通なのです。


 (もちろん、区域の見直しで補償が変わらないように、南相馬市桜井市長は以前より強く求めています。また警戒区域を解除されることで強制的に帰還させられると騒いでいる方もいらっしゃいますが、それは事実ではなく、あくまで帰りたい人は変えれば良いですし、帰りたくない人は帰らなければいい、ただそれだけのことです。ただ、帰りたい人が帰れるようにインフラの整備と除染を進めることが、国、県、市、東電の義務であるとは思います。)


 それだけ賛否両論が渦巻いているので、地元出身の僕でさえ、その人の立場や考えを知らないまま、迂闊には発言することはできないのも事実です。それ故、福島以外の人は余計に気を遣って、何も言えなくなる気持ちも分かります。とはいえ、何も言えないことと、見なかったことにするということは全く違いますし、“その話題に触れない”ということは、時に優しく時に冷たい行為になると私は思います。


 では、福島以外の人はどうしたら良いんだろうと、昨日はその地元の人々の多種多様な意見を見ながら考えていました。それで、まず思ったのは、やっぱり生の情報に触れてほしいなということです。もちろん、テレビや新聞で流れる情報も良いのですが、現地やネット上には、現場の生の声がたくさん載っています。それも、毎日どんどん更新されていきます。現地の人たちは、今どのようなことを考えているのか、現在の状況はどうなのか、何が必要なのか、そういうことをまず知ってほしいと思います。


 そういうことを知ると、例えば、今回の区域見直しに関しても、賛否両論が渦巻いているんだということが分かることでしょう。そうしたならば、次に「なぜ賛否両論があるのだろうか?」とか、「賛成の理由は?反対の理由は?」とか、「どういう人は賛成で、どういう人は反対なの?」とか、そういうことを考えることができますよね。今さら「お気の毒に」なんて思ってもらう必要はないわけですから、ぜひ福島以外の人には、こんなことを考えてもらったら良いのかもしれないなあと、昨日は考えていました。


 気に掛けるということは、“話題に触れない”ということではなく、こうして現地の人々を知って、現地の人々に思いを馳せたりとか、そういうことなんだと思います。


 昨日の区域見直しの判断が正しかったのかどうかは、まだ誰にも分かりません。タイミング、順番、エリア分け、それぞれに賛否両論はあって、万人が賛成という選択肢は無かったと思います。今回、スタートラインに立つということ自体も大変でしたが、もう立ってしまったわけですから、あとは前に進むのみということでもあります。


 昨日、中学時代の友人は、Facebookでこんなメッセージをくれました。


 「(警戒区域解除について)複雑な心境だけど、それでも嬉しいな!どこにも負けないいい街にしていきたいね〜」


 いろんな課題があって、向こう何年かかるのかは分かりませんが、僕らのどこにも負けないいい街への歩みは、まだ始まったばかりです。