2012年3月11日という特別で“普通”の一日

 3月10日、いま僕はこのブログを書き始めました。きっと、公開する頃は2012年3月11日に日をまたぐことでしょう。3月10日、1年前の今日のこの日は、みんな何事もなく普通の一日を過ごしていました。日々のありふれた営みがそこにはありました。3月11日の東日本大震災で犠牲になってしまった人たちも、1年前の今日のこの日は、いつも通り仕事に行き、いつも通り家に帰り家族と食事を取り、いつも通り家族団らんの時間を過ごしていたのです。


 それが、あの日で全てが一変しました。


 いま自分の目の前に広がっている光景、自分の置かれている環境が“夢”であってほしいと、いったい何人の人が考えたでしょうか。僕自身のことで考えても、まさか自分の故郷が地震と津波で無残なほどに破壊されるなんて、まさか自分の故郷が放射能で汚染された地域になってしまうなんて、まさか自分の家に自由に帰れない日が来るなんて、そんな日が来るとは夢にも思いませんでした。でも、これは現実として起きてしまったのです。


 ついに、3月11日から1年が経過しました。2012年3月11日、僕はこの日に自分の中で何を想うのか、少し前から自分に対して興味を持っていました。そして、いよいよこの時を迎えたわけですが、その結果はある意味ではあまりにも期待はずれだったように思います。なぜなら、特に何か強く想うもの、そんなものは自分の心や頭の中には無かったからです。


 誤解無きように言いますが、もちろん、震災で多くの方が犠牲になり、僕の親族や知人も犠牲になったわけですから、その方たちに祈りを捧げることは当たり前です。そんなことは当たり前に考えますし、します。でも、それ以外に強く想うことって、正直あんまり無いんですよ。


 では、何で無いのか。それを先ほどお風呂の中で少し考えていました。そして考えていて思ったのは、この2012年3月11日はもちろん震災から1年という一つの区切りではあるんですけど、でも、被災者や被災地に強く結びつきのある人からすれば、区切りではないからなのではないかということです。


 世間的には、マスコミをはじめ多くの人が今日を一つの区切りにしていると思います。きっと、今日は各テレビ局が様々な特集番組を組み、多くの場所でいろんなイベントが開催され、2時46分には多くの人が祈りを捧げ、それぞれのメディアにアウトプットすることでしょう。


 でも、月曜日以降のテレビの番組表を見てみてください。僕は先ほど土曜日の新聞に付いてくる一週間分のテレビ番組表見ていましたが、明日の日曜日は震災報道で埋め尽くされている一方で、明後日の月曜日からは、一切震災関連のテレビが無くなっていることに気がつきました。予想はしていましたが、やっぱりかと思いました。


 区切りは前に進むためには、必要であり、良いことです。でも、この区切りは震災を過去のものにし、忘れて前に進むためのものではありません。もし、この区切りが忘れるための日であったなら、被災地の人々にとって、これほど辛いことはないと思います。


 被災地の人にとって、この2012年3月11日は震災から1年という一つの区切りではありますが、でも今日の一日は震災復興という長い道のりを考えれば、何も特別な日ではなく、通過点に過ぎないただの一日でもあると思うのです。1年をサイクルで考えれば、3月11日を中心に毎年サイクルが回るでしょうけど、月日はサイクルではなく直線であり、今日の日は今日一日しかありませんし、復興への長い一本道の中では、今日はそのプロセスの一つに過ぎないのです。


 だから、今日という日が、僕にとっては、犠牲になってしまった方への祈りを捧げる以外には、何も特別な日でも無いのだろうと思います。だって、まだ何も始まっても終わってもいませんし、ここ数日は地元の親しき人の間でも、状況が良くない方向に進む事態さえありました。世の中は、復興へ向けて、物事が日々着実に前進していて後退することなんて無いと思っていらっしゃるかもしれませんが、実際はそんなに順調なものではないのです。


 今回の未曾有の大震災、原発事故からの復興は、大変に長い道のりになると思います。そして、原発事故という天災に人災が加わった複雑な事態ですから、天災だけであった阪神大震災の『がんばろう神戸』のように、誰もが足並みを揃えて復興へ向かうということも、そんなに簡単にできることではないでしょう。だからこそ、これからがもっと大変になると思いますし、多くの方々の支援も必要になるはずです。


 支援というのは、現地に足を運ぶとか、物的支援とか、金銭的支援でなくても良いんです。“被災地を気に掛ける”、このことさえ人々の心の中や頭の片隅に置いといてもらえたら、それだけで十分だと思います。それが本当の“絆”というものでしょう。そういう風に気に掛けてもらえているということが、被災者にとってはとても大きな力になると思いますし、実際に故郷の友人も先日そんな風に話をしていました。


 ですから、今日という日は震災から1年の区切りなのですが、区切って風化ということにはしてほしくないと強く思うのです。今日という復興への通過点の一日を、明日、明後日へと一つずつ繋げていく。今日という日は、犠牲になった方々へ祈りを捧げる厳粛な一日であると同時に、復興へ向けた何気ない普通の一日でもあるのです。