“もし”という恐怖

 今年の3月11日まで、もう残すところ一週間ですね。あれからもう一年が経つのかと思うと、本当に早いものです。もしかしたら、僕のこれまでの人生の中で、最も早いと感じる一年だったかもしれません。


 さっき、ちょっと地元の画像を探していて、Googleでいろいろ見ていたんですけど、そしたらYahoo!の震災アーカイブに行き着いて、いろんな写真を見ていました。震災アーカイブ、皆さんはご覧になったことがありますか?Yahoo!のユーザーから、震災前の写真、震災後の写真がそれぞれアップされていて、変わり果てた被災地の過去の記憶を残すみたいなサイトです。


 それで、僕も地元の震災前、震災後の写真をいろいろと見ていました。そうすると、やっぱりいろいろ思い出しますね。野馬追の様子、よく海水浴に行った砂浜、釣りに行った港。そして、一方で防砂林もテトラポットも無くなった海、陸に船が転がる光景、さらには倒壊した同級生の家。これが現実というのが、信じられないくらいです。


 そして、それとともに感じたのは、自分が今こうして生きているのも本当に偶然なのだということです。特に、海の写真を見ていると、それは強く感じます。


 僕の実家は海から2キロくらいで、海にはよく遊びに行ったり、釣りに行ったり、ランニングに行ったり、海の近くの友人の家に遊びに行ったり、とにかく海の近くでの子供時代の記憶は相当あります。でも、もし自分が海水浴や釣りに行っている時に、あの津波が来たらと思うと、本当にゾッとするんですよね。場所が同じであるだけに、余計リアルに想像できてしまうのです。


 南相馬市小高区の村上海水浴場には、松の木の防砂林の中に、小さな玉砂利を敷き詰められた道があって、そこは足を鍛えるには持って来いのコースでした。ですから、僕は小学校・中学校の頃、よくそこに走りに行っていたのです。そこまで自転車で行って、コースを走るわけです。もちろん、そこに行くときは一人です。もし、そこにあの津波が来たら・・・。


 それと、もう一つ思い出したのは、釣りの話です。僕は海釣りが好きで、子供の頃はよく行っていたんですが、たまに隣の浪江町の請戸漁港に釣りに行くことがありました。請戸漁港は、家からは自転車で行ける距離ではないので、行く時は親に車で乗せていってもらって、夕方迎えに来てもらうというのがパターンでした。でも、もしそこに津波が来ていたら、もうアウトですよね。車も自転車も無く、港ですから近くに高台も無い。請戸地区は、津波で壊滅的被害を受けましたが、その時もし釣りをしていたらと考えると本当に怖くなります。


 いま考えても、まさか自分の地元がと思うこともあるんですが、それが現実になってしまったのが、昨年の3.11でした。現実に起きてしまったあの津波を、“まさか”という現実が起きない前提、もしくは起きたことを受け入れられていない状況で考えるのと、現実を受け入れた後の状況で考えるのとでは、そこに沸き起こる感情は全く違います。現実を受け入れた後に頭に浮かぶのが、“もし”ということなのです。


 Yahoo!のアーカイブで過去と現在が結び付いたことで、“もし”ということを考えさせられて恐怖を感じるとともに、僕らは生かされているんだなあと改めて感じたのでした。