Jリーグ発足のきっかけとなった川淵キャプテンの名演説

 先日、スポーツジャーナリストの二宮清純さんの講演を聞く機会がありました。僕にとって、この二宮さんはぜひ一度はお目にかかりたいと思っていた方の一人でした。というのも、僕は大学時代にスポーツに関する学問を専攻していたもので、その時も二宮さんの資料を参考にさせていただいたりしていて、まだ何も分からない頃は、スポーツジャーナリストという職業もいいなあと漠然と考えていたものでした。


 さて、今回はその講演で二宮さんが紹介されていた、日本サッカー協会の川淵キャプテンの話を取り上げたいと思います。ちみに、川淵さんに「キャプテン」という職名を付けたのは、この二宮さんらしいですよ。たぶん、このエピソードはみんな知らないですよね。


 で、その川淵キャプテンの話とは、日本サッカーがプロ化する際の一連のできごとについてでした。話は、1980年代に遡りますが、この頃、サッカー界では日本サッカーをプロ化しようという機運が盛り上がってきたそうです。それとともに、プロリーグ準備検討委員会という組織が設けられ、そこにこの川淵キャプテンも二宮さんも入っていて、議論を重ねたんだそうです。


 しかし、こういう改革の時には、反対勢力や抵抗勢力が現れるのは世の常です。おそらく、皆様も仕事をする中で、そういう場面に出くわしたことが少なからずあるのではないでしょうか。サッカーのプロ化の議論の際にも、例外なく、山のような反対勢力や抵抗勢力が現れたそうです。


 そして、1990年代に入ってのある会議で、サッカー協会の幹部がこう言ったそうです。


 「サッカーのプロ化?ちょっと待て。景気も悪くなってきた。どこの企業がサッカーなんかにカネを出すんだ。時期尚早じゃないか」


 すると、もう1人の幹部が立ち上がって、こう言いました。


 「そうだよ。日本にはプロ野球がある。サッカーのプロ化で成功した例なんてない。前例がないことをやって失敗したらどうするんだ。誰が責任を取るんだ」


 二宮さんは、「時期尚早」、「前例がない」というこの2つの言葉を耳にして、「これでもうサッカーのプロ化は難しくなった。今まであれほど議論してきたことは一体何だったんだろう」と非常にむなしい気持ちにとらわれたそうです。


 さて、今日ご紹介したいのはここからです。ここで、川淵キャプテンはいきなり立ち上がり、きっぱりとこう言ったんだそうです。

「時期尚早と言う人間は、 100年経っても時期尚早と言う。前例がないと言う人間は、 200年経っても前例がないと言う。

そもそも時期尚早と言う人間は、やる気がないということなんだ。でも、私にはやる気がありませんとは情けなくて言えないから、時期尚早という言葉でごまかそうとする。前例がないと言う人間は、私にはアイデアがないということなんだ。でも、私にはアイデアがありませんとは恥ずかしくて言えないから、前例がないという言葉で逃げようとする。

大体仕事のできない者を見てみろ。自らの仕事に誇りと責任を持てない人間を見てみろ。次から次へと、できない理由ばっかり探し出してくるだろう。仕事というものは、できないことにチャレンジをして、できるようにしてみせることを言うんだ」


 これ、ものすごくパンチ力のある演説ですよね。僕はこの話を二宮さんから聞いて、鳥肌が立ちました。そして、この一言がきっかけになって、「よし、じゃあもう1回、サッカーのプロ化に向かって頑張ってみようじゃないか」という機運が再びみなぎり、1992年の秋にJリーグの公式戦、カップ戦がスタートし、93年の春にはレギュラーシーズンがスタートしたわけです。


 川淵キャプテンは独裁とも言われますが、でも、それぐらいのパワーがなければ、Jリーグの発足も無かったでしょうし、日本サッカーのW杯出場が当たり前になることも無かったでしょうし、2002年に日韓W杯が招致されることもなかったでしょうし、サッカーの人気がプロ野球を凌ぐほどになるなんてあり得なかったことだと思います。


 抵抗勢力や反対勢力を押し切るリーダーシップ。Jリーグ発足の裏に隠されたこの川淵キャプテンのエピソードには、物事を改革する際のヒントが、多分に詰まっているのではないでしょうか。川淵キャプテンにはシビレました。