経験、支援、背中、そして明るい未来へ

 今日の糸井重里さんのコラム『今日のダーリン』は、何かとっても共感するところがありました。糸井さんのコラムはアーカイブを残してなくて、明日のAM11時には更新されて見えなくなってしまいますので、せっかくなのでこちらに引用させていただこうと思います。

 「あの町のこどもたちは、
 あんなおとなたちを見て育つんだから、
 これからがたのしみですねぇ」

 東北の取材をしてきた人と会って、
 そんなことばを聞きました。
 ぼくの知っている東北の人たちのことが、
 ほめられているような気がして、
 とてもうれしかったです。
 
 そうだよなぁ。
 どんなふうに、なにを教えるよりも、
 おとなたちが実際に「どう生きているか」が、
 こどもたちに大きな影響をあたえるんだと思います。

 ちょっと大きくなったこどもたちは、おとなたちが
 「やせがまん」をしていることも知っています。
 ちょっとかっこつけて笑っていることも、わかってます。
 こころからうれしそうにわらっている瞬間も、
 きっと見逃さずに見ています。
 そうして、じぶんにとっての
 「かっこいいおとな像」をイメージしていくんでしょう。
 あんなふうに生きたいなぁ、とか、
 あんなふうにはなるまい、とかね。
 
 ごくごく自然に、「じぶんを後回しにする」おとなや、
 つらさや、かなしさを「ぐっとこらえる」人たちを、
 ぼくはぼくで、そういえば見てきたように思います。
 それは、どんなことばよりも、身にしみました。
 そういう人が言う「くだらない冗談」は、
 ほんとうにおもしろく感じたりもしたものでした。
 
 東北には、いま、「いい背中」がいっぱいあります。
 もちろん、見たくない背中もあるんだと思います。
 でも、「いい背中」は、ほんとうに強いからね。
 どんなことばより、人のこころをひっぱってくれます。
 だってねぇ、じぶん自身がおとなのはずの、
 ぼくだって、じっと見ちゃうような背中だもの。
 男、女、お年寄り、若い人‥‥静かなはずの背中が、
 ほんとうによく語ってくれてます。
 *1


 先日、僕も母校の中学のブログを見て、同じようなことを思ったんですよね。たしかに、子どもたちは今回の震災で、あり得ないつらさや苦しみを抱いている、それは紛れも無い事実です。そして、同じ地で同じように生きた僕らが当たり前に過ごしていた日常が、当たり前でなくなっているのも事実だと思います。


 でもね、全国各地、いや世界中の様々な人々は、そんな彼らを決して見捨てないんですよね。物的支援は未だに続きますし、いろんな著名人や団体が、子どもたちを元気づけようと、どんどん福島の地に足を運んでくれています。劇団四季が体育館でステージを披露してくれたり、Jリーガーが来たり、先日はASIMOくんも来てましたね。支援いただける方々のおかげで、彼らは通常まずできないような貴重な経験ができているとも思うんですよね。


 震災で人の苦しみが分かり、そして、多くの方々の支援により様々な経験を積んだ子どもたち。震災は辛かったですし、今も辛いと思いますけど、それは決して悪いことばかりではなくて、こういう経験をした子どもたちは、大人になったら必ずや立派な人間になるのではないでしょうか。


 そして、糸井さんの今日のコラムの「いい背中」。子どもたちは、支援に来てくれる著名な方でなくとも、親、先生、地域の大人たちなど、身近な大人の「いい背中」を見てるんだろうと思うんです。「いい背中」、良い表現ですし、何か画が浮かびますよね。やっぱり、東北の子どもたちによって作られる将来、未来は、きっと明るいんじゃないかなあ。

*1:2012年1月26日ほぼ日刊イトイ新聞『今日のダーリン』より