明日、突然帰る家が無くなったらどうしますか?

 震災から4ヶ月以上が過ぎました。さっきも、ここつくばでは結構大きな地震がありましたが、世の中は、被災地以外は何だか震災から抜け出してきているような気がしますね。何か見てると、ポジティブに抜け出たというより、ただ単に風化してるだけのようですけどね。僕なんかは、実家が福島県南相馬市で警戒区域内ですから、関東に住んでたって、全然そんなことは思わないわけなんですが。


 まあ、それはさておき、今日は僕の実家の初の一時帰宅でした。事故から4ヶ月が立ち、一時帰宅の開始からもだいぶ時間が立ちましたが、やっと今日です。今日は、たぶん両親で一時帰宅したんだと思いますが、さっき親父からメールが入ってました。内容は、ようやく建物の2階部分の片付けの目処が立ってきたこと、家の中は違和感ない空気だったこと、そして、自宅の玄関の外の線量は0.22マイクロシーベルトであること。


 たった、それだけですが、メールの文面から見ても、親父も久しぶりに家に帰ることができて嬉しかったんだろうなという様子が伝わってきました。帰る家がある、このことがどんなに幸せで、人々の生活や心の安定に必要なことか、今ほど考えたことはありません。いや、これまではそんなこと考えたこともなければ、考える必要もなく、帰る家があるのは当たり前、皆そう思っていたんだと思います。


 それが、ある日突然その拠り所が無くなった。しかも、今回の場合は原因が原因だけに、原発近くの人々は、みんなやるせない気持ちになっていることと思います。僕も、実家は今となっては普段帰る家ではないですけど、長年住み慣れた家、住み慣れた土地に、盆も正月も帰省できないのかと思うと、やっぱり帰る家が無いと思ってしまいます。特に、これからの時期は帰省シーズンでもあるから、余計に感じることでしょう。


 でも、現実的なことを考えた場合、僕の実家なんかは帰ろうと思えば帰れる環境なんです、実際。だって、線量だって上記のようにかなり低いわけですからね。もちろん、芝生や植木等の線量はもう少しあるんでしょうけど、それだって、表土の掘り起こしをすれば、おそらく余裕の範囲。十分住めるんです。


 現在は、原発から半径20キロ圏内が警戒区域で立ち入りが禁じられていますが、僕の実家みたいに、南相馬市小高区や浪江町の海沿いの地域などは、風向き、それから海の近くで風が抜けることもあって、線量はかなり低いんです。そして、その地域に住む人たちはそれを知っているので、帰りたいと思っている人も少なくないんですよね。それが、半径で一律に区切られたので、全然現実を反映してないってもんです。


 もちろん、帰っても職が無かったり、店が空いてなかったりと、不便なことは出てくると思います。でも、そんなことより、帰る家があるっていうのは、本当に人々を安心させるんじゃないですかね。国も区域を解除するとかしないとか行ったり来たりだし、行政もせっかく作った仮設住宅が・・と、見当外れなことを言ってる。文科省の細かな線量測定も、いつ始まるのか分からない。そんなことしているうちに、どんどん被災者の人たちの心と身体は疲弊していくんです。


 原発も三号機に窒素が注入され、第一ステップをほぼ完了したと言っています。ならば、ここでトップダウンで現実を徹底的に調査し、被災者視点で物事の判断をしてもらいたいものですよね。こういう時、いやこういう時以外もですが、どこにだって反対勢力はいます。だからこそのトップダウンです。独善的なトップダウンでなく、現場の現実を直視したトップダウン


 風化させてる場合じゃないですし、足りてると分かった電力量について議論している場合でもありません。将来的にリスクのある原発脱原発の議論はちょっとする必要はありますが、それよりも今現在、原発事故に苦しめられている、地元住民を救うのが先です。帰る家のある平和な人たちが、平和な場所で、平和な議論を繰り広げている間、現地の人達は今も尚、つらい想いをしているのです。岩手や宮城では復興への動きが加速していますが、まだ復興というフェーズに行けてない地域もあるんです。風化なんてさせてたまるかっての。