誰が言ってるかではなく、何を言ってるか

 先日RSSリーダーでいろんなブログを見ていたら、おそらく久しぶりに更新されたと思われる、あるブログがありました。僕もそのブログを見るのは久しぶりで、ブログのタイトルはなんとなく覚えていたのですが、誰が書いてて、何をキッカケにいつから読み出したのかはまるで覚えてない。でも、またこれが記事は良いこと書いてらっしゃるんですよ。その時に、僕はこんなことを思いました。



 何ていうか、日本社会は本当に権威が蔓延るというか、強いものに黙ってついていけば良い的な風潮が強いですよね。何を言ったよりも誰が言ったかが重要視される。そういう雰囲気がとても強い気がします。でも、そういうのって、いろんなことがおかしくなる原因ではないでしょうか?


 権威のある人が何かを提言すれば、寄らば大樹の陰じゃないですけど、みんながそれが正しいものだと思って、そこに向かって突き進んでしまう。それが正しかろうが、間違っていようが。その正誤の判断を各個人が行わずに、発言者によって判断されるなんて、とってもおかしいし、怖い世の中ですよね。


 そんなもんだから、何かちょっと違うよなという感じで世に広まってしまっているものもきっと少なくないと思います。僕がいろいろと勉強してるCRMとかの分野なんかも正にそうで、何も分かっちゃいないちょっと名の通ったコンサルやITベンダーが「これがCRMだ!」と的外れなことをひと度言ったものなら、それが瞬く間に広まっていってしまう。つまり、間違った認識が、とても低いレベルでどんどん浸透していくわけです。


 これは、もちろん受け手にもだいぶ問題があって、言う方も分かっていなければ、聞く方も分かっていないからこういうことになるんですが、“誰か有名な人が言ってるから”と、それに付いていくのは楽だし簡単ですけど、結局その人には何の身にもならないんですよね。だって、そもそも自分で勉強したり、経験したりしているんではなく、単なる受け売りなんですから。せめて、誰かに付いて行くなら、正しい人に付いてしっかり学べってもんですよ。


 もっと、自分でもそれなりに勉強をしたり、情報を集めて精査しながら、正しい情報を受け取っていきたいものですね。そして、誰が言ったかなんてことはあんまり気にしないで、それが良いものなら良い、ダメなものならダメとしっかり判断していきませんか?今や多くの人が、いろんなことを自由に発信したり受け取ったりできる世の中なんですから、“誰が”なんてことに気を取られているのは本当にもったいないことです。無名な良い情報の出し手、そして、受け取るみんなの可能性を、もっともっと大事にできる世の中になっていくと良いですね。