あの日から26日も経ったのか〜東北関東大震災を振り返る(6)〜完

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 さて、ここまで東日本大震災後の出来事を長々と書いてきましたが、もうそろそろ終わりますので、もう少しお付き合い下さい。ちなみに、前回までのエントリーはこちらです。


あの日から12日も経ったのか〜東北関東大震災を振り返る(1)〜
あの日から13日も経ったのか〜東北関東大震災を振り返る(2)〜
あの日から14日も経ったのか〜東北関東大震災を振り返る(3)〜
あの日から17日も経ったのか〜東北関東大震災を振り返る(4)〜
あの日から24日も経ったのか〜東北関東大震災を振り返る(5)〜


 長いですね〜。はい、もう終わりますから。さて、前回まででだいぶ大変だった時期を乗り越えて、ようやく落ち着いたというところです。そこから現在までを少し書いて終わりにしたいと思います。

ルールと常識の狭間で


 郡山市の親戚宅でお世話になることになった両親。これまでの心配が続いた日々から、ようやく解放されたのでしょう。電話で話す声も元気になってきましたし、前を向いているなあという印象でした。僕たち兄弟も、それまでの激動の数日を乗り越えてやっと肩の荷が下りた感じで、少しだけ平穏な生活が訪れた様に思います。


 とは言っても、原発の状況は何ら改善が見られなかったわけで、福島県民の心がキレイに晴れたわけではありません。そしてそんな中でも、母は仕事の関係で南相馬市に戻され、現在も相馬市の親戚宅から南相馬市に出勤したりと結構無茶なことをやっています。


 もちろん、それらは地域の復興のためには必要なことでしょう。ただ、なぜ今また戻すのかという議論もあったり。特に行政や学校などは、国が中途半端な対応をする中で、ルールと常識の狭間で、どうも良識的判断が失われていた印象は否めません。

末端への責任の押し付けは誰にしわ寄せが来るか


 その原因は、やはり国の判断の遅さと曖昧さと無責任さです。例えば、学校に関しても、今後どのように学校運営を進めていくかの判断は、国でもなく、県教育委員会でもなく、市町村の教育委員会でもなく、学校長でした(という自治体もありました)。学校長の決断一つで、教員と生徒、そして保護者の安全が揺らぎかねない。そんな状況だったのです。


 避難指示や屋内退避の区域の学校に関して今後どのようにするかは、それは国が率先して決断すべき重要事項でしょう。それを学校長に決断を委ねるというのは、いくら責任者といえども、責任が取れる範疇を超えてしまっています。だって、日本国が誰も経験したことのない原発事故により、学校関係者全員の命がかかっているわけですから。しかも、それを判断できる情報も知識も、学校長が持ち合わせているわけがないのです。


 そして、屋内退避の南相馬市の区域などに関しても、ようやく昨日、今日になって、国が避難指示の検討をはじめ、指示が出た際には速やかに避難できる準備を整えているというニュース。


NHKニュース 南相馬市 住民避難計画策定へ


 今さらかよって感じですよね。そりゃ、こういう反応にもなりますわって話です。



 昨日こういう話が出たので、どうなるのかはまた分からなくなりましたが、現地の人々は、今も復興に向けて一歩一歩強く踏み出しているのです。国がやるべき事、県がやるべき事、自治体がやるべき事を、もう一度よ〜く考えてていただきたいものです。

東北は必ず復活する!


 一方、話は変わりますが、この間、私の方は先週の3/29、30といわき市に、弊社のいわき支店のサポートとして行ってきました。いわき市も沿岸部は津波の被害で結構な大変さ。津波の破壊力をまざまざと見せつけられました。そして、実家の南相馬市は、このいわきよりもひどい状況なのかと、ゾッとするしかありませんでした。


『道路のど真ん中に流された家』


『瓦礫を捜索する自衛隊員』


『津波で破壊された防波堤』


 しかし、こんな状況においても、被災地の人たちは本当に強かったです。私も、弊社のお客様を2日間で30社ほど訪問させていただいたのですが、皆、前向きで他人への思いやりに溢れている姿が印象的でした。


「自分のところは津波が来てないだけマシだよ」
「自分のところは津波は来たけど、家が流されなっただけマシだよ。帰ったら1階は津波が来ていて、家に魚もいたけど、2階は大丈夫だったので2階で暮らしてる」
「本当に大変なことになったけど、家族の命があるだけマシだよ」


 こんな風に、多くの人が自分よりももっと深刻な状況の人を思い、自分はマシだよと言って明るく前を向いている。でも、僕もそうですけど、そういう人たちだって、もしかしたら親戚や知人がお亡くなりになっていたり、行方不明だったりするかもしれないのです。原発の放射能汚染だって、口には出さないですけど、きっと不安に感じていると思うのです。そういう境遇に置かれている人たちが、あれほど他人を思いやって前を向いている。その姿に、思わず胸が熱くなってしまいました。そして、福島は、東北は、必ず復活すると確信しました。


 その一方で、つくばに戻れば、水や食材の買い占めでスーパーには何も無い状態。本当に首都圏のそういう人たちの行動には、情け無さを感じました。誤解を恐れずに言いますが、今回の震災全体においては、首都圏なんて安全圏ですよ、ハッキリ言って。なのに、風評にダマされて、過剰な行動に出ている。自分のことしか考えていない。本当に情け無いと思います。


 計画停電が大変だと言ったって、その電気を生成する原発を抱えているのは、首都圏ではなく福島県だったりするわけで、そんな数時間の停電を我慢するなんて当然のこと。それに文句を言うなら、東京に原発を作れという話です。「自分たちが使うわけでもない電気を作る東電の事故で、なぜ自分たちがこんなに危険な思いをしなければならないのか。」そう仰る被災地の方もいらっしゃいました。

やっぱり大好きな故郷


 これからも被災地では、復興への長い道のりが続きます。僕も、復興の力になれるよう、地元への貢献も考えなきゃと最近強く思ったりしています。いろんなことを言う人(特に安全圏にいる人)がいますが、結局行動しなければ何の意味もありません。具体的に行動をして、地元の復興の力になっていきたいと思います。あ、まずは避難指示が解除されて、家に入れるようになったら、家の片付けからですね(笑)


 “頑張りましょう!”とは言いません。上を向いて、前を向いて、みんなで力を合わせて、一歩一歩復興への歩みを進めましょう!それが、長い年月をかけて、被災地を元通りの姿へ、いやそれ以上の素晴らしい姿へと変貌させていくことにつながると信じています。東北の人たちならやれます。僕も魂は福島にあります。大好きな僕らの故郷を取り戻しましょう!



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