あの日から14日も経ったのか〜東北関東大震災を振り返る(3)〜

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 今日もこれまで(あの日から12日も経ったのか〜東北関東大震災を振り返る(1)〜あの日から13日も経ったのか〜東北関東大震災を振り返る(2)〜)の続きです。

命と家があるだけマシという世界


 さて、日は明けて3月12日になりました。そして、真夜中の午前1時頃だったでしょうか。弟から突然電話が来ました。良い知らせでした。弟は実家の母と連絡がついたらしく、無事ということでした。同じころ、父からもメールがあり、両親の無事はとりあえずは確認されました。2人とも同じ避難所に居る。まずはホッと一安心です。


 そして、弟との電話を切ると、私も母に連絡してみました。まあ、声は元気そうでしたが、もう実家の南相馬市小高区は強い揺れと津波により壊滅状態で、大変なことになっているとのことでした。


 一方、父は妻と電話で話したようで、妻によれば、実家の様子は家は何とか無事だが、家の中は食器棚から何から、ほとんどの家具が倒れてぐちゃぐちゃだとのこと。ただ、そんな中、我が家の愛犬は生き延びて、家族の帰りをソファーに座って待っていたそうです(笑)。さすが、ワンコ。でも、犬も相当ビビっただろうな。ヤツは、今回の地震を予知できたのだろうか??


 まあ、家もとりあえず無事で良かった。というのも、父によれば、我が家は高台だったから良かったものの、もう周りのご近所さんの家は流されていたり、浸水したり、もうとんでもないことになっているらしく、家の中がぐちゃぐちゃでも、家があるだけでマシだったのです。

貴重な財産になるであろう衝撃映像


 ちなみに、昨日見つけたYouTubeの画像をご紹介しますが、実家付近はどうやらこんな感じだそうです。


↓↓↓まずは、こんな感じで津波が来て(これうちの近くの丘から撮影したらしい)↓↓↓
『【東北地方太平洋沖地震南相馬市 津波映像』


↓↓↓そして、こんな感じに↓↓↓
『東日本大地震 福島上空① (3/12撮影)』(4分5秒前後の画面奥が我が家付近)


『東日本大地震 福島上空② (3/12撮影)』(6分20秒前後の丘の奥の方が我が家付近)


 ね、とんでもないでしょ。本当にシャレにならんのです。地盤沈下のため、水も全然引かないし、もう海岸線が変わっちゃってるんですよね。


 それにしてもこの映像は本当に貴重です。というのも、実家の辺りは、後に(次回以降)話しますが、福島第一原子力発電所から半径20キロ圏内の避難指示区域のため、マスコミ殆ど近寄らない場所です。そのため、実家付近の映像はテレビではほとんど見ることができなくて、一体どんな状況なのだろうかと気になっていました。


 そんな中、昨日たまたま見つけたのがこの映像で、これらは地震の次の日3月12日に撮影されていた。つまり、まだ避難指示が出る前だったために撮影できた映像なわけで、本当に貴重なのです。しかも、画質がとても良いですしね。画質が良い分、親戚の家が無くなってるとか、友人の家が無くなってるとか、見たくない部分も見えてしまいますが、こういう事実が記録された映像というのは、後世にも受け継がれる大事な財産だと思いました。

よし、帰れる!


 だいぶ脱線しましたが、とりあえず両親と家と愛犬は無事ということで、残るは祖母の安否です。ただ、祖母は携帯も持っていないですし、特別養護老人ホームにいるので、何とも連絡がとりようがありません。まあこればっかりは仕方ないので、無事であることを祈って、また横になることにしました。


 それから2時間ぐらいは寝たのでしょうか。でも、やっぱりいろいろと気になって深くは眠ることはできず、結局4時半ぐらいには起きて、またテレビのある部屋へと移動し、取引先メーカーの方々と一緒にテレビ画面をボーッと見ていました。


 しかし、いくらテレビを見ても、被害の全容は全く掴めず、むしろ気仙沼で大規模火災が起きたり、死者・行方不明者がどんどん増えていったりと、状況はどんどん悪くなる一方。加えて、首都圏の電車もかなり復旧が遅れていて、「これ今日も帰れないのか!?」と一瞬頭を過ぎりました。


 でも、その後JRの一部の電車は午前7時ぐらいから運行を開始するというニュース。京浜東北線常磐線は動くというので、とりあえず取手までは行ける。そこからは、誰かに迎えに来てもらおうと、同僚と相談していました。そして、私たちは午前7時半ぐらいにお世話になった取引先メーカーのビルを後にし、大宮駅へ向かったのでした。(続く・・・)


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