あの日から12日も経ったのか〜東北関東大震災を振り返る(1)〜

Twitter「つぶやく」ボタン


 3月11日14時46分に発生した東北関東大震災から、もう12日も経ったんですね。今回の地震で、私の実家付近(福島県南相馬市)は、報道でも何度も登場しております通り、巨大地震に大津波に原発と、とんでもない被害を被りました。それにより、家族の安否も分からない日が続いたり、さらに原発に次々と事故が起き、気が気ではない日々でした。


 そんな日々も、原発が余談を許さないとはいえ、ようやく少しは落ち着いてきたので、あの地震について、いろいろと振り返ってみたいと思います。たぶん、何回かに分けて書くことになるかと思います(途中で書かなくなるかもしれないけどねw)。何から書こうかよく整理しきれていないので、とりあえず時系列に書いていくことにします。

余計なことは言うもんじゃない


 3月11日。僕はその日、大宮にいました。大宮で取引先メーカーの研修に参加していたのです。そう、こういう時に限って、自宅から離れた場所に居るもんなんですよね(と、後に妻に言われましたw)。そして、今思い返せば前触れとも言えることが、研修の中で話題になったのです。それは地震の少し前の14時半頃のことでした。研修の講師の方が、あることの説明の例え話として、その講師の方が浦安に自宅マンションを買ったときのお話をしてくださったのです。


 話の内容を簡単にいえば、非常に大きい買い物なので購入する側としてはとても迷った。しかし、不動産会社の人は、この場所でこの質で、この価格の物件はそうは無いと押してくる。講師の方は、そのマンションの場所が浦安ということもあり、「液状化は大丈夫ですか?」と聞くと、不動産会社は「液状化は間違いなくしますw。でも、このマンションは土台に50メートル以上の杭を打っているから大丈夫!」とか、そんな応酬があって、で、結局迷った挙句買ったという話でした。まさか、それが数十分後に現実になるとも思わずに。

想像を超える映像


 そして、研修も終わりが見えてきた14時46分、突如、大きな揺れに襲われたのです。研修会場は騒然。全員男性の研修でしたが、みんな結構あっけに取られていました。そして受講者の誰かが、携帯のワンセグで「宮城で震度7」と叫び、これは大変なことになったと思いました。


 私もiPadでネットを見てみると、今度は大津波警報で津波の予想が10メートルという情報が飛び込んできて、これは本気でマズイと思いました。つくばの家族、そして、福島の家族たちがすぐに頭を過ぎりました。しかし、その瞬間から携帯は接続不能。つくばの家族とも、実家の両親たちとも連絡が付かなくなったのです。


 とはいえ、津波予想10メートルとは言っても、これまでそんな予想通りの津波は来たことがなくて、まあ津波は大丈夫だろうと正直思っていました。きっと、東北の太平洋側の人たちも、そう思っていたのではないでしょうか。しかし、取引先のオフィスのテレビを見て、背筋が凍りました。


 最初に見た映像は、いわき市小名浜港の様子。僕はいわきにも住んでいたことがありますし、小名浜港には釣りに行ったりもしていて、馴染みの港でした。しかし、その港の映像をテレビで見て、「何だこれは!?」と思いました。本当にそんな大津波が来たのか、と。そして、テレビは宮城の名取川河口付近の津波、岩手の津波と、とんでもない映像を次々と出していきます。これは、実家もヤバイと正直思いました。


 しかし、携帯も固定も全然繋がりません。加えて、ここは大宮。JRが止まったという情報も聞いたので、今度は何で帰ろうかとの思いが頭に浮かんできました。当然ながら、研修は途中で中止になったので、一緒に研修を受けていた同じ会社の後輩と大宮駅に行ってみることにしました。

考えることはみんな同じ


 その途中、研修を受けていた大宮のビルの非常階段を降りようとすると、壁には大きな亀裂が。そんなに古いビルではないのに、こんなに亀裂が入るほどスゴイ地震だったのかと、改めて怖さを感じました。大宮駅に着くと、もうそこは黒山の人だかり。外のオーロラビジョンでNHKの映像を凝視する人、また駅の中はJRの説明を聞く人でごった返していました。


 そして、大宮駅構内は、スプリンクラーが誤作動したのか、水浸し。次第に、駅のテナントや駅前の百貨店、ファーストフード店まで、店を閉め始めました。駅では、JRは今日の運行はしないとのアナウンス。さあて、どうやって帰るかと、いよいよ悩み始めました。


 バスを探しますが、大宮からつくばに近づくような路線は一つもありません。タクシーで帰るには、ちょっとお金がかかり過ぎる。ああ、無理かあと思ったその時、「あ、レンタカーという手がある!」とひらめきました。そして、iPadを頼りに、レンタカー店に1件1件走りました。


 7〜8件のレンタカー店を回ったでしょうか。しかし、結果として1台も確保することができなかったのです。みんな考えることは一緒なんですね。もう少し早くレンタカーという選択肢を思いついていれば違ったのかもしれませんが、時すでに遅しでした。ああ、ますます帰れなくなった。終いには、自転車を買って帰るかとか、ヒッチハイクかとかいう話も出ましたが、寒いし暗くなってきたしで、取引先メーカーの知り合いの方も、「今日うちの事務所一晩中解放するから来たら?」と仰ってくれたので、お言葉に甘えて、研修を受けていたビルに戻ることにしました。


 緊張しながら歩きまわっていたせいか、途中、僕は足をつってしまいました。こんなことは、スポーツをやっていた時でさえ、今まで一度もありませんでした。無意識に体が相当緊張していたんですね。(続く・・・)


Twitter「つぶやく」ボタン このエントリーをはてなブックマークに追加